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the world as code

Qiitaを使うということの意義

Qiitaにいくつか記事を上げてみて思ったことを。

承認欲求が満たしやすい

ブログのような個人の場ではないのに承認欲求がってのもどうなんだという話はあるが、反応を得やすい。Qiitaでは各エントリーに必ずタグを設定することになり、ユーザーは興味のあるタグを登録して新着記事をチェックするわけだが、記事が上がってくるスピードは1日に数えられる程ではあるので、上げればほぼ必ず誰かしらの目には留まる状態にある。なので自分が上げたのは基礎的な記事ばかりだという思いはあるのだが、それでもすべて漏れなくストックされていた。

もちろん、100ストックなどを目指すとハードルはぐっと上がってくるわけだが、こういった個人ブログで誰が見てくれているかわからない状態と比べて、記事投稿へのモチベーションは保ちやすいように感じた。なお、はてなでも同様のエコシステムは働いていて、例えばこのブログもはてな時代はそこそこブクマされていたわけだが、github.io化した後のブクマは見事にゼロである。

誤り修正と議論の活性化

ほぼすべての記事が誰かしらの目に触れるということで、(自分は未経験だが)コメントにより間違いの修正が入ることも多い。特に特定のタグに関してはその道の有名な方がだいぶ監視しているっぽいなぁという場合もあり、ちょこちょこコメントが付いている。

またコメントで長々と議論が続くのもよく見かける。単なるハウツーよりは何らかの設計思想を書いた記事に多いように思うが、派生した内容として興味深く追えることも多い。

技術のコモディティ化

で、ここからが本題なのだが、QiitaによってIT技術者の知識というのはある程度コモディティ化されそうだなぁと思う。

Qiita以前ははてななどがエンジニアのアウトプットがよくストックされる場所ではあったが、Qiitaほど体系だってまとめられていたわけではない。Qiitaでは「タグ」を追うことで、その分野の新しい話題も古い話題も、基礎も応用も知っていくことができる。逆に言えば、Qiitaに書いてあることぐらいは誰だってすぐ追って身につけられる状態にある。

技術書のような網羅性の高い知識パッケージとはさすがに性質を異にはするが、先に上げたコメントなどによって適宜内容が改訂され、より正しい状態に近づいていき、また必要な情報、新たな情報が次々と追加されるという意味では、動的な知識パッケージとして果たす役割は大きいのではないか。 まぁ要はブログやSNSの黎明期に言われたようなことが、Qiitaという専門性の高い1サービス内で圧縮的に再現されているというだけの話ではあるのだが、「Qiitaをやっている」というレッテルが、ある一定の知識レベルを有することと同義になる日も来そうだなという思いがする。問題点としてはQiita外と同様、やはりWeb系、OSS系の知識に内容が偏っていて、有償製品等のノウハウはそれほど多くないことだろうか。これはQiitaの問題ではないのだけど。